エスパーダ 掲示板
▼過去ログ209
2007/11/18 11:54
▼高橋
うぉおおおお!
マジでセックヌしただけで金振り込まれてきたぞ!!
[好きなサッカー選手、好きなサッカーチーム]
テセキト
11/18 11:54
[HP]
▼ガチャ
今日のサッカーは開催します
今日のサッカーは参加予定者数が4人そろいましたので公園にて開催します。
私は千葉に行くので今日は参加できません。参加される方同士で連絡を取り合ってください。お願いします。
11/18 8:45
▼無名さん
GK イビコビッチ(クロアチア)
DF スタノイコビッチ(セルビア)
ナイドスキー(マケドニア)
ビリッチ(クロアチア)
ヤルニ(クロアチア)
MF ボバン(クロアチア)
ヨジッチ(セルビア)
プロシネツキ(クロアチア)
サビチェビッチ(モンテネグロ)
FW パンチェフ(マケドニア)
ミハイロビッチ(セルビア)
ストイコビッチは不出場で、スーケルは途中出場であるものの、MFとFWは、まさに夢のような布陣である。試合は、当然の如くユーゴスラビアが7−1で圧勝した。しかし、これが最後の「ユーゴ・ドリームチーム」の姿であったとは…。
11/17 12:50
▼無名さん
1990年のイタリアワールドカップ。その大会で最も技巧的で美しいサッカーを展開したのはユーゴスラビアであった。その中心は、若き日のスコイコビッチ。時に25歳。
そして、そのチームには、レギュラーではなかったものの、プロシネツキ、サビチェビッチ、パンチェフ、スーケル、ボクシッチ、ヤルニといった、若き天才プレーヤー達がいた。さらに、ワールドカップ直前の暴行事件でベンチ入りから漏れたボバンのほか、ユーゴビッチ、ミハイロビッチ、ミヤトビッチら、才能あふれる若手も代表候補に名を連ねていた。
そうしたことから、1990年のワールドカップでのベスト8の好成績も、きたるべきユーゴ大躍進のほんの序章に過ぎないと思われていた。しかし、その夢は2年も続かなかった…。
ユーゴスラビアは、第二次世界大戦後、パルチザンの英雄・チトー率いる共産党のもとで、6つの共和国の連邦国家となった。しかし、絶大な求心力があったチトーが1980年に死去して以来、各民族の民族主義が台頭してきた。というのも、ユーゴスラビアには、ユーゴスラビアを事実上支配していたセルビア人のほか、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人などがおり、それぞれが共和国を持っていたからである。また、ボスニア=ヘルツェゴビナ共和国には多くの民族が混在していた。
このユーゴスラビアにおける複雑な民族構成は、代表チームにも影を落としていた。代表選手の誰もが他の選手の出自を把握しており、クロアチア人のボバンなどは、「俺は、ユーゴスラビアの代表とは思ったことは一度もない」と公言していたほどであった。
1980年代後半からの旧ソ連・東欧の政治変革は、ほどなくユーゴスラビアに波及してきた。しかし、この間も、ユーゴスラビア代表は、1992年のスウェーデンでの欧州選手権出場を目指して予選を戦っていた。そして、予選を圧倒的な強さで勝ち抜いた。以下は、予選最終戦の対アイスランド戦の先発メンバーである。
11/17 12:50
▼無名さん
天気
川上小学校天気
日曜は快晴です。
http://www.wni.co.jp/docomo/cgi/search_point.fcgi?msg=result&name=%8es%97%a7%90%ec%8f%e3%8f%ac%8aw%8dZ%28%89%a1%95l%8es%8c%cb%92%cb%8b%e6%29&amds=46106&live=10001083&tm=1195249491&uid=NULLGWDOCOMO
[好きなサッカー選手、好きなサッカーチーム]
右サイドの松林がつっつくようなドリブルで突破しゴールライン際からのマイナスの折り返しを西原がニアでつぶれ後に流れたボールを川俣が左足で切り返し飛び出してきたキーパーを倒しておいてから冷静に右足シュート
11/17 7:11
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