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▼過去ログ384
2010/10/12 16:10

▼無名さん
フットサル予定
11月分のチームリーフのフットサル予定が分かりました。

☆11月14日(日)
13時〜15時

☆11月20日(土)
13時〜15時
いずれも都筑スポーツセンター

今月は10月23日(土)
13時〜15時
都筑スポーツセンター
10/12 16:10

▼無名さん
10月11日のフットサル
10月11日(月・祝)のフットサルは前日に引き続き13時〜15時に都筑スポーツセンターにて開催された。この日は通常のハーフコートだった。
参加者はエスパーダから佐藤、柴田、小野、川崎、加藤、須藤、山島、それに初参加の方や足を痛めていたタクミさん、小野選手の会社の同僚の谷口さんも緊急参戦するなど11人が参加した。
前日も行われたこともあり、最初は入念なアップが行われた。
その後は5対6のゲーム形式が行われ、初めて参加される方の技術の高さ、柴田選手の精力的な動き、川崎選手の視野の広さが光った。
体調不良の加藤選手がフィールドプレーヤーとして動けなくなるほどで、局面、局面では激しさを増した。
前日の次のフットサルに参加した方は1時間半近く行ったらしく、2日連続のフットサルに谷口さんは『フットサルやりすぎですよ』と言われるほどだった。
川崎選手は地元の公園で無回転シュートの練習をひそかに練習していることを明かし『これからは本田の時代じゃない』の言わんばかりだった。今日、韓国のソウルで開催される日韓戦にも負傷離脱した岡崎に代わり緊急招集される可能性が出てきた。
また柴田選手もミドルシュート練習をタクミさん相手に行うなど精力的で、フットサル後には営業先に向かうためYシャツに革靴で参戦した。
そんな充実したフットサルだったが、またしても佐藤の行動にはがっかりさせられた。またしてもテレビを勝手に付け、全日本ユース選手権決勝を見だしてしまった。これには都筑スポーツセンターの職員の方々も『またはじまったか』と言わんばかりの表情だったことは言うまでもない。
本当にユース年代の方々には真似をして欲しくない行動だった。
10/12 16:07

▼無名さん
10月10日のフットサル
10月10日(日)のフットサルは13時〜15時に都筑スポーツセンターにて開催された。
この日はフルコートで行われ、リーフのエイイチ店長の親交の厚さを感じさせるように20人以上の人が参加した。エスパーダからは佐藤、小野、柴田、加藤、須藤、大竹、三宅、川崎、山島などが参加した。
開始前には久しぶりのフットサルということもあり、各自入念なアップが行われたが、三宅選手、山島選手、佐藤らはフルコートの自陣から強烈なシュート練習をタクミさん相手に行った。
ゲームは川崎選手、山島選手、山島選手、柴田選手の同級生の方の3人が代表者となり、組みわけが行われた。
コートが広いため、体力面と精神面の強さが求められ、局面局面では激しい攻防が繰り広げられた。
そんな中でも川崎選手の視野の広さ、山島選手の運動量とキープ力、大竹選手の展開力など、見ごたえのある攻防が続いた。
特に山島選手が初参加となる同級生の方からの自陣からのクロスからヘディングシュートは見事だった。ピンポイントクロスから高い跳躍と叩きつけたヘディングシュート。これにはアルゼンチン戦で精彩を欠き酷評した金田さんも納得の表情だった。
2時間で非常に内容が濃かったが、その後のチームが相手がいないということで山島選手、大竹選手、須藤選手など5人程度参加し、向上心の高さをうかがわせた。
そんな中またもやと言うべきか、佐藤のフットサル後の行動には正直あきれさせられた。着替えるなり勝手に都筑スポーツセンターのテレビを付け、パリーグ・クライマックスシリーズ・西武−ロッテ戦を見だした。ロッテが1点差に詰め寄り、なおもチャンスの場面だったため、1球1球に言葉を発し、『ここで井口が打つよ』とか『もうロッテの勝ちだ』とか叫び、横のテーブルにいた少年が不思議そうに見る場面もあり、椅子を離れるものまで現れた。
ロッテの攻撃が終わるまでいっしょに来ていた川崎選手、柴田選手、小野選手が帰れない状況で、小野選手の怒りがおさまらなかったのは言うまでもない。
そのような小野選手に対しては当日、横浜アリーナで行われていた堂本光一以上の声援が送られた。小野選手の人気の高さの理由が垣間見えた瞬間でもあった。
10/12 15:47

▼無名さん
10月10日のフットサル
10月10日(日)、11日(月・祝)のフットサルは13時〜15時に都筑スポーツセンターにて開催します。
10日はフルコートでのフットサルになります。
参加・不参加が分かりましたらスケジュールサイトに書き込んでください、お願いします。
10/8 18:08

▼無名さん
プロ野球日本ハムなどで監督を務めた大沢啓二(おおさわ・けいじ)氏が7日午前7時25分、胆のうがんのため東京都内の病院で死去した。78歳。神奈川県出身。葬儀・告別式は未定。
大沢氏は神奈川商工で投手として甲子園に出場。立大では主将・4番打者として活躍した。1956年に南海(現ソフトバンク)に入団。59年には故杉浦忠、野村克也らとともに日本一に輝いた。東京(現ロッテ)に移籍した65年に現役引退。東京でコーチ、2軍監督を経て71年途中に監督に就任した。
76年からは日本ハムの指揮を執り、江夏豊投手らをトレードで獲得するなどチーム改革に取り組み、81年にはリーグ優勝を果たした。面倒見がよく“親分”の愛称で選手から慕われた。
84年にフロント入りしたが、シーズン途中で監督に復帰。85年からフロントに戻り、球団常務を務めた後、93年から2年間指揮を執った。日本プロ野球OBクラブの理事長もこなしたほか、日曜日朝のテレビ番組では「ご意見番」としてプレーぶりなどに“喝”を入れ、人気を集めた。最近は体調を崩し、9月19日が最後の出演だった。司会の関口宏さんが、今季の優勝争いについて「中日とソフトバンクが有利と言っていた通りになったことに『あっぱれ』をいただきたい」とのコメントを代読していた。
プロ10年間の通算成績は988試合に出場し、打率2割4分1厘、17本塁打、191打点。監督としては725勝723敗99分けだった。
10/7 12:04


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