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1 無名さん

穴のあの自伝

あれどこいった?
2 無名さん
この和翔のことについて少し話そうと思う。
一人称の件については許して欲しい。

初めて彼(彼女)と出会ったのは任天堂DSiで使えた無料のソフト、はてなが提供している「うごくメモ帳」だった。私が中学生の頃だ。自分の作品をインターネットに接続して投稿することが出来る画期的なサービスだ。そこで作品のコメント欄をチャットに使うのが一時期とある界隈で流行った。ネットの中でも更に狭い世界の中でたくさんの人が様々な関わりあい方をしながら楽しんでいたように思う。その中で私は和翔に出会った。彼女はとあるCを動かしていた。コメント欄は大抵の人が手書きで書き込んていたのであまり長い文章はかけない。今の私からすれば笑えるようななりきり度だったがその当時は楽しくて堪らなかった。

和翔はとても字が可愛かった、そこに惹かれたのだ。この理由も今となっては笑えるかもしれない。彼女専用の茶室も作った。なかなか時間が合わず、おそらく彼女は私と違い親からの言いつけを守ることの出来るいい子だったのだろう。そんな中でとある休日の昼間に約束して浮上することにした。
私はとても楽しみにしていた。ところが昼ごはんを終えたあと私は親からゲームをやり過ぎだと注意された。
でも私には今日だけは、という理由があったのだ。ところがその理由は親に言えるものではない。いつまで経っても説明しない私に痺れを切らした親は私からゲームを没収した。
後から後からあふれてくる涙は悲しみではなく悔しさと怒りだ。どうして私はこんなに無力なんだろう、どうしてもっと早く生まれて今大人になっていないんだろう。兎に角思考が飛躍し過ぎていた。
そのあと私は自殺未遂をする。図らずともこの行為が私と親の関係を良好なものにする。ようやくワガママが通るようになった。
3 無名さん
文章がすべて消えた。最悪だ。
コピペでないことはどこか文章を切って検索してくれればわかると思う。

和翔は私の中で青春時代のすべてだった。私は和翔にすべてを捧げていた。長く続けていたピアノをやめ、中学卒業と同時に進学することもしなかった。今後も同じように退屈な授業を受け続けるのならば和翔と話している方が楽しいと思ったからだ。単純明快な話だと思う。毎日毎日飽きもせずに彼女と話し込み彼女がいない時間は死んだように眠った。
完全に私の生活は自我を失っていた。それでもあの頃を楽しかったと今でも振り返ることが出来る。戻りたいかどうかはまた別として。

だがしかしもう彼女に会うことは出来ない。彼女は私の中から恥ずかしがりながら消えて死んでしまったのだ。私は未だにその事実を恥じている。悔やんでいるという表現は少し違うかもしれないがそう取ってもらっても構わない。

私は高校生になり和翔とはメールでやり取りするようになっていた。そんな中で私はふと思い立った、彼女に手紙を書きたい。と。私は単刀直入で住所を聞き出すことにした。ところが彼女は戸惑っていた。私にはその反応が分からなかった。
結論からいえば和翔は私の思いを受け入れてくれた。住所を聞いた私は使わなくなった勉強机からズッ友の便箋を取り出しプレイカラーで手紙を書いた。似顔絵と一緒に100プリを貼ったと思う。そしてピンクの虎が描かれた切手を貼り付けてドキドキしながらポストへ投函した。待っても返事は来なかった、そして連絡の頻度は極端に落ちた。

数日、数週間と空くのが当たり前になり私から連絡しなければ数ヶ月空いていても彼女は寂しくないようだった。そして3ヶ月ほど空いたあと、四年目の記念日を祝おうとメールを送った時エラーが即座に帰ってきた。その日から私は即レスが苦手だ、エラーメールの瞬発性に絶望させられる。
その数日後私は薬を大量に服用し二度目の自殺未遂を図った。そして入院した。
4 無名さん
その後私はしばらくこの世界を離れようと思った。
ところがそれと同時に私が学校に通っていれば高校2年生の頃にTwitterを使ったなりきりが流行り出した。さみしさを埋めるために、そんな軽い気持ちで私はアカウントを作った。ところが新しい世界に慣れるのには時間がかかる。そしてまだ新しい場所では暗黙の了解という便利なルールが確立されていない。正しく無法地帯だ。未成年が大量に流れ込んでおりそれを隠そうともしない。
写真を気軽に投稿できることもあり居心地が悪かった。そして私の動かしていたCは人気がなかった。楽しくないことは長くは続かない。私はすぐにアカウントを削除してしまった。
しばらくの空白期間、私はふと思いついたように新しいアカウントを作った。名前を設定しましょう、との指示にわたしは和翔の名前が浮かんだ。和翔は多C使いではなくひとつのCを突き詰めて使っていた。私の指は気づいた時にはその名前を打ち込みアイコンを設定していた。最初はそのCを使うことに苦手意識があった。ところが考え方が変わった瞬間とても温かい気持ちになったのだ。
私はCではなく和翔になりきることを心がけだしていた。死んでしまったの和翔を私の内だけでそっと育てていたのだ。和翔は私のものだったので当然特別(恋人)は作らなかった。初めてあったうごメモと同じように和翔はとてもモテた。
5 無名さん
しばらくは和翔になりきっていたのだがある日を境にそれが意識しなくても出来るようになっていることに気付いた。私は和翔になったのだ、和翔がまた会いに来てくれて一緒にいようと言ってくれてるのだと嬉しくなった。その時から独占欲というものはなくなり私は心の赴くままに好きな人に告白することにした。和翔が乗り移り初めて出来た恋人は私が前に使っていたCだ。彼は私をとても大切にしてくれた。付き合っていた期間はおそらく2年ほどだったと思う。サイトを作ってくれそこで描写を回しながら裏も何度も及んだ。ただ和翔は私の中では無言で打ち切る飽き性な女なのだ。
二年ほどやり取りが続いたあと私はかれの前から無言で姿を消した。アカウントは残したままログインすることをやめた。IDもパスワードも覚えているがログインすることは裏切りなのだ。どのジャンルであろうがなりきりの世界では無言で消えることは初歩のルール、ご法度中のご法度なのはよく理解している。だが私が和翔であり続けるために必要だったことを理解して欲しい。
それでもやはり微かに残っていた和翔以外の部分が痛み再び薬を大量に服用した。
6 無名さん
そして私はしばらくなりきりの世界を離れていた。ように思ったがその期間はおそらく一年間もなかったであろう。うごめも、チャット、Twitterと移住地を移した私は波間を漂う中で募集サイトを発見した。募集サイトは自分自身をプレゼンテーションする場だと認識している。茶室で待っていれば誰かが来るのではなく、数ある魅力的な記事の中から自分自身を推薦して相手を勝ち取らなければいけない。応募する側にしても同じだ。
長らく成人を装ってなりきりを楽しんでいたことと、小さな頃から読書が好きだったこともあり遜色ない描写ができるようになっていた私は500文字以上の描写が回せる人が沢山いるこの場所が天国のように感じられた。
私はそこて沢山の人と出会った。e箱やxx、鳩など初めて聞く単語も検索してたくさん学んだ。名前も覚えていない人もいた。ときたま過去のメールを見返しているとこんな人とやり取りしたことはあったのか?と不思議な感覚に陥る。それほど一気に私のなりきり欲を発散させた。ただそれは浅く希薄な関係だった。ただその内相性のいい友達も何人か見つかった。私のことを好きだと言ってくれたショウコ(仮名)だ。
7 無名さん
ショウコは和翔になる前の私によく似ていた。ショウコと話している中で何度か告白されたが私は何故か彼女とは友達になりたいと思った、何かが警鐘を鳴らしていたのかもしれない。私はショウコと日に数回話すようになった。メールから移行しLINEを使ってリア友同然の会話をしていた。そんな中で唐突に彼女から住んでいる場所を聞かれた。私は和翔になった私に前の私が会いに来てくれたのだろうと思った。
私は住んでいる場所を伝えた。彼女の住んでいる場所からは遠く離れていた。ところが彼女はその週末に私に会いに来た。当時お金のなかった私はカラオケくらいにしか連れていけなかったけどすごく楽しかった。顔はカピバラを想像してくれればいい。何度か私の地元で会うことを重ねついにはクリスマスも一緒に過ごしてしまった。私は彼女に依存していたし彼女もまた私に依存していた。いい友達ができたと思っていた。
私は彼女ともっと沢山会いたいと思い引っ越すことを決めた。実家を出て彼女の地元の近くに引っ越したことを彼女はとても喜んでくれたし毎日一緒にいた。彼女もまた学校をドロップアウトしなりきりBLに逃げたひとりだ。私と違うのところは彼女がLGBTだということだった。それ以外はODによる自殺未遂の経験も何もかもが同じだった。
そんな彼女を私は同族嫌悪していたのだろうか、それとも私の性の対象が異性だっただろうか。何度か直接告白され泣かれたがどうしても友達以上にはなれなかった。
そんな中で私はまたも和翔としての振る舞いをする。ある日ディズニーに行こうと約束したことがある。予定がなかなか合わず現地集合ということになった。私は行く気はなかった。チケットを買ったことにし時間とベンチまで細かく指定した上で布団の中にいた。彼女はきっと待っていたのだろう。どこにいる?という連絡を無視して私は消えた。
8 無名さん
宮原と打つと携帯がこの二人の人名を出してくるからです。声優さんなんですね。

彼女は私の家の住所を知っていたし私も彼女の家の住所を知っていた。怖かったので私は警察に相談し家の周りの警戒を強めてもらった。彼女と出掛けた時に行った場所で検索をかけ割り出したTwitterIDはリストに入れてある。今もそのアカウントを使っているようだ。私が来なかったあの日から定期的に私への恨みつらみをかくようになったがこんな人間と付き合わなくて良かったと、私の判断は誤っていなかったと心底思った。
その後私はまた新たに気の合う人を探し始めた。そんな中で年のはじめに出会った人がいる。その人の名前をサチエ(仮名)としよう。サチエともメールでやり取りをしていた。私は自分から背後交流を求めることはしない。和翔がしなかったのだから和翔が乗り移った私がしないのも当たり前だ。
サチエと何ヶ月か話したあと突然電話をしようと言われた。彼女と電話をするのはとても楽しかった。そして私の実家と彼女の地元が近いことを知りショウコのために引っ越したことをひどく後悔した。C同士は恋人関係だったしショウコに対する不思議な嫌悪感もなかった。当時は毎日好きという感情に振り回され周りが見えていなかったが厳しい発言や甘い言葉の繰り返しを見るに彼女はDV、モラハラ気質だった。私は毎晩布団に潜って電話のたびに泣いていたはずだ。それでも好きでたまらなかった。ただ彼女からの愛情は歪んでいてあまり愛されていると感じられなかったのだ。私は秘密で違う顔を装い彼女らしき募集文にひたすら応募し続けた。しばらくすると簡単に繋がった。適当に恋人のことをどう思っているか聞きながら彼女にキスを求めた。サチエは簡単に描写を回してキスしたのだ。酷く辛い現実だった。ところが私はそうされていても尚別れを言い出すことが出来ない。辛い現実を受け入れられない代わりに別れることも出来ない板挟みの状態が続いた。電話で笑いながら話すことが不可能になった。
9 無名さん
そして私が苦しさのあまり距離を置くようになってからサチエも何かを察したのか私に興味を示さなくなった。そしてある日一年記念日の連絡をしたところエラーメールが帰ってきた。私はとてつもない虚無感と孤独感を味わうことになる。何も手につかず喉を通らず眠れず副交感神経の以上で手足の末端は常に冷え震えていた。思い出して何度も泣いた。うちの中にいても外にいても。私は再び手首を切断して自殺未遂を試みた。未だに左手はうまく動かせない。
絶望の毎日を送る中で私はなかなか再起出来なかった。一縷の望みを託して捜索することにした。すると案外すんなりと見つかったのだ。彼女はケロリとした態度で戻ってきた。今思えば常識に欠けた態度だが当時の私はこの世の全てが幸せの光で照らされているようにハッピーだった。
何せ私は復縁しようと必死だったのだ。必死に復縁の方法を調べマニュアルを購入し恋愛運を占ってくれる先生に幾らも費やした。そして携帯の待ち受けはよく分からない虹色のバラにしていた。だから効果があったのだ、などと思ってしまう(笑)

ただいつの時代も復縁したカップルの大半は上手くいかない。私は彼女に何を期待していたのだろうか。反省なのだろう、彼女の態度は相変わらず前と変わらなかった。私が一番求めていたものにも関わらずすぐに飽きた。私は彼女の前から消えた。その後彼女の行方はわからなかったがつい先日連絡が来た。私のことを晒しただろう。と。きっとほかの所でも色んなことをやってきたんだろう。自業自得だ。私はこの恋からひとつ大事なことを学んだ。

人は信じ過ぎてはいけない、絶対、ずっとお前だけという甘い台詞に惑わされてはいけない。そしてわかれた時、消えてしまった時のショックを軽減するために人付き合いは広く広げておくべきだと。恋人意外と話していない状況で恋人に消えられてしまうのはあまりに辛い。いとおしい親愛の友達に囲まれていることが大事なのだ。キープとも言うのだろう。私から消えた時胸がいたんだ気もするが自殺未遂には至らなかった。
10 無名さん
私の傷の治りは案外早かった。
そのあと私は新たな恋人に出会う。私の人生や価値観を大きく変えた大切な人だ。その人な名前をヤマコ(仮名)としよう。彼女もまた私の実家に近いところに住んでいた。私はますますショウコのために引っ越したことを後悔した。なぜ実家に戻らなかったのは最初に書いた毒親ぶりを見てもらえればわかるだろう。彼女と出会って付き合うことになるまで数ヶ月かかった。今までは和翔になりきっていれば簡単に誰でもおとすことが出来た。ところが彼女には断られたのだ。私は動揺し戸惑った。それでも彼女が好きだった。彼女に猛アタックを続けある日彼女から告白された時の高揚感は忘れられないし今もそのメールは大切に保存してある。そして今もそのメールを見るとその時の気持ちがリアルに蘇る。

私は二つ返事でオッケーした。ただ彼女は常識人ではあったが少し精神的に弱く自分に自信が無い人だった。そんな彼女を支えるのが私の役目だと当時は信じて疑わなかった。
そして彼女もまた私に電話を求めた。電話することに対しなんの抵抗ももはや抱かなくなっていたとは言え恋人との電話はやはり緊張するものだ。震える声を隠して話した。しかし慣れればそれは大きな喜びに変わる。サチエが私の生活を支配するように毎日徹夜させていたのとは違いヤマコはカレンダー通りの休みに合わせて電話をくれた。そしてある日私が実家に帰るのに合わせて会うことが決まった。恋人と会うのは初めてだ。念入りに髪の毛を整え、サロンでセットしてもらい現場に向かう。そこには彼女がいた。初めて会ったにも関わらず数十分話しただけで帰りたくないと感じた。その後何度も泊まり込み色々な場所に出かけた、私は初めて同性を好きになった。そんな彼女は不安定な精神のせいか職を転々としていた。支える役がだんだんと苦痛になってきたし「私はあなたのような明るい人間じゃない、若くないしそんなふうに色々楽しめない」と言われた。疲れていたのだろう、私は彼女と距離を置くことにした。彼女から連絡してくることは滅多にない。私は彼女が自分から声をかけるのが苦手なことを知っている。
11 無名さん
それでもずっと放置していたのだ。3ヶ月以上がすぎわたしの誕生日、その日の終わりに久々に連絡がきた。すぐに返したがそのあと返信はない。そして二年目の記念日を先日(暈)迎えた。その日に連絡はなかった。毎月欠かさず祝っていたからカレンダーでその日付を見ると何かしらの感情が湧き上がっていたが私は悲しいとも辛いとも感じなかった。それは前回の失恋で学んだことを実行していたからだ。
私には既に新しく好きな人がいた。彼女には申し訳ないが新しい世界を見せてくれたことに感謝して歩み出した。


次の恋人は最初はペットだった。裏の相性が良くて恋人にしたがすぐに飽きてまた無言で消えた。そのあと寂しくなった時に捜索するとすぐに出てきてくれた。ただどうしても長く話す気にはなれずまた姿を消してしまった。この私の特性は許されるべきことではないことを知っているが理解をして欲しい。
12 無名さん
ここで一つ言っておきたいのは私は消えたい、相手を傷つけたいという気持ちで消えている訳では無いのだ。そして白紙を送ることを億劫に思っているわけでもないのだ。ただ私の頭は心とは裏腹に毎回無言でいなくなることを選んでしまう。私はこれが苦しいと思っている。自分の好きな人が自分を探して宛もなくさ迷う所を想像するだけで胸がはち切れそうだ。申し訳なく思っている。
13 無名さん
これだわありがとう
というか思ったんだけどこれは創作なの?それとも実話?
14 無名さん
こいつが生きてたジャンルの晒し板に晒されたって言ってた人がいるから実話
少なくともサチエ?は存在した

ちなみに和翔は知らないけどこいつは知ってるし会ったことある
15 無名さん
てか何者なの?無言でいなくなるやつは何者だろうが最悪だろうと思うけど
16 無名さん
冗長過ぎて目が滑る
自分が何かしても和翔とかいう奴のせいにして逃げてるだけだろ
17 無名さん
今は無きカキコミ(空き地とは別管理人の情報交換場所で空き地はカキコミが利用できないとき作られたサイトの一つ)潰した荒しが和翔の名前あげてなかったっけ?
18 無名さん
一番最初のが抜けてる

[70094] h
もう2時間授業が終了したので後は柴先生の多文化理解とチェコ語を履修するだけです。このままいけばたぶん90単位は超えるから卒業認定出ると思うんだけどこの中で何個か落とすと途端に駄目になっちゃうからちょっとだけ不安です。
あと私がやらなければならないことはゼミの参加。ゼミに参加するのが一番憂鬱ってはっきり言ってすごくよくないことだと思うんだけど何とか頑張っていきたいと思います。
中国人とは相性が悪いのかもしれない。水曜日はできたら行きたくないんだけどそれよりも水曜日の3限にrivetに会えるのが何よりの楽しみだからなんとか頑張りたい。
私はいつでもどこでもどこにでも飛んでいきたいと思っている。
言語を学ぶときにおいて恋のパワーは凄まじい威力を発揮することがある。今がその時だ。
19 無名さん
僕は昔から夜が嫌いだった。夜が嫌いだと思ったのは記憶にある限り幼稚園の頃からだ。どういうわけか風邪を引いて寝込んだときの記憶が強く頭にこびり付いている。幼い頃は和室に布団を敷いて寝ていた。高熱にうなされなかなか寝付けない所に苦しさに拍車をかけるようにして吐き気が催すのだ。母親は枕を洗濯しなくて良いように、とバスタオルを寝具に巻き付けた。そしていつ嘔吐しても良い様に近くにハローキティの洗面器を置いた。その洗面器がとても浅かったことは今でもよく覚えている。小さな子供は吐く、という経験の少なさと喉の狭さからスムーズな嘔吐が出来ない。咳込み苦しく、あの口の中に残る酸っぱい味は私の中で残る最初の夜のイメージだ。
小学生の頃、私は未だに和室で寝ていたが環境は少し変わっていた。妹が生まれ一人寝ができるようになった。そして二段ベッドの上段で寝ていた。私の家では子供の消灯時間が早かった。小学校を卒業するまでは8時半には布団に入っていなければならない。小学生には宿題位しかやることがなかったので夜ご飯や入浴、宿題を終わらせても十分な余暇時間はあった。しかし一番の問題んなったのは中途半端な時間設定だ。夜のゴールデンタイムのテレビは面白い。大抵の番組は一時間を区切りに放送している。つまり8時半はまだ番組の途中なのだ。一番盛り上がるタイミングにも関わらず最後まで見ることは許されなかった。
20 無名さん
そんな私はベッドの柵の隙間から指を伸ばして音を立てぬよう真剣に襖を開け隙間からテレビを見ていた。それでも親にバレぴしゃん、と閉められる事も度々だった。
中学年まではこれでもそのうち眠たくなって寝ていたのだ。ところが高学年になるとそうはいかない、静かに夜眠れるはずがないのだ。テレビを見ることは早々に諦めた私だったがその後は布団に潜ってゲームをすることに興じていた。特にリアルタイムの時間軸が大きく影響してくる「どうぶつの森」は深夜になればなるほどレアアイテムの昆虫が現れる為子供ながらに必死だった。しかし、我が家では昔からゲームは一日30分までと決められていたのだ。当然その30分はあっという間に夕方に過ぎてしまう。なのでここでも親に見つかるわけにはいかなかった。ところが親の目は隅々まで届いている。ゲームの音量を絞り足音で親の位置を把握しながらなんとか進めているが集中すると人の視野はとても狭くなる。案の定こっそりと襖を開けられた事に気付かず何度もゲームを没収された。任天堂DSをプレイしていた人なら分かると思うがあのゲーム機は明るさ調節が二段階しかなかったのだ。ゲームボーイアドバンスの様に発光しない画面、光り輝く画面。発光しない画面は暗くとても布団に潜って遊ぶことはできない。ところが次の明るさに調節すると部屋の隅が煌々と光る程に眩しい。布団に潜っていても光が布団から透ける。そして自分の息で画面に結露が生まれる。今思えば最悪の状況で遊んでいた様に思う。ゲームを取り上げられた私は読書位しかすることがなかった。そんな事をせず早く寝ればいいのに、と思う人もいるかもしれない。しかし子供にとって布団に入った後こっそりと起きておく事は甘い楽しみでありワクワクしながら自分を妄想の頭の中でヒーローにした人もいるのではないだろうか。
21 無名さん
本を読むには明かりが必要だ。襖の隙間から居間の明かりを頂戴することは出来ない。
そこで私はぼんやりと光るおんぼろの目覚まし時計を父親から譲ってもらった。ただスイッチを押した後数秒間今にも消えそうな明かりを灯すだけの小さな時計だったので片手でぺージを抑えもう片方の手に時計を持ち数秒に一度カチ、カチと小さな音を立てながら一文字一文字を光で追いかけた。どういうわけかそれでも寝室を見に来る親を当時は疎ましく思っていたがあれは監視ではなくおそらく寝顔を見に来ていたのだろう、と今は考える。本を読む生活は何年間も続いた。そして私は携帯を手に入れた。これを読んでいる私より年上の読者は驚くかもしれないが私が初めて手にした携帯はスマートフォンだった。明るさを一番暗くしてゲームをする時の様に布団に潜りこんだ。私は決して友達と連絡をとっていたわけではない。その頃はチャットが全盛期を迎えていたのだ。余り大声で言えることではないがなりきりチャットという所に入り浸っていた。ここからはわけのわからない話が展開されるかもしれない。そういった方は少し読み飛ばしてほしい。気軽に調べて理解できる世界ではないのだ。
なりきりの世界では基本的にチャットをする人が20歳以上、つまり成人を迎えている必要がある。暗黙の了解だ。当然仕事を終え眠るまでの間にチャットに顔を出す人が多い。人がいなければチャットは出来ない。私は必然的に夜更かしを始めた。そしてたくさんに人と話す中で好きになった人が現れた。和翔、わかだ。この名前にぴんと来た人は今から殺しに行く。
22 無名さん
何なのこれ
>>12で終わりなの?
23 無名さん
確かもう一個あったはず。
24 無名さん
あれで終わりではなかったよね?
25 無名さん
こいつと電話したことあるよ
26 無名さん
誰なの?
27 無名さん
これ逆さま中也?
28 無名さん
結局何なのこれ?
29 無名さん
中学生で親にゲーム没収されて自殺未遂とか池沼かよ
30 無名さん
今初めて読んだけどこれ多分知り合いだわ
この話仲良くなったらみんなに聞かせるだけじゃ飽き足らず穴にも書いてたのか
31 無名さん
脚色してるんだろうけど馬鹿すぎ
32 無名さん
これ聞かせて何がしたいの
33 無名さん
この話のオチはあるの?
こんな長文の自分語り聞かせられる側はたまったもんじゃないな
34 無名さん
文章で初めて恐怖感じた
ジャンル何?
35 無名さん
どこまで手出してるのか知らないけど自分が出会ったのは創作だった
でも版権もナマもやってるって言ってたような気がする
36 無名さん
age
37 無名さん
こわっ
38 無名さん
こいつ進/撃とかもやってる?
39 無名さん
Age
40 無名さん
あげますよ
41 無名さん
あげ
42 中華丼◆0Qh89e
固定ハンドルネーム
43 中華丼◆0Qh89e

良くなかった、の?じゃあ俺お前のこと満足させてあげられる自信無いなぁ…(早く素直になりなよと瞳で語りかけながらもう一度ギリギリまで顔を近づけると押して駄目なら引いて見ろと言わんばかりに呟き)

覚えとけ(*`・з・´)(*`・з・´)(*`・з・´
44 中華丼◆0Qh89e

っ…意地悪(と相手の様子に先ほどより顔を真っ赤にすれば「よ、かった…ょ」と語尾になるに連れて声は小さくなり目線をそらして)

うんっ^^
ふぅ、もうそろそろ寝ようかな…
今年もよろしくね〜☆
45 中華丼◆0Qh89e

お前だって何時も其れくらい意地悪なんだからね…(相手の言葉にいつもの相手の様子を挙げてしたり顔で笑って見せ恥ずかしそうに紡いでくれる相手により一層愛しさが募るとともに胸は苦しくなって先程とは売って変わってそっと唇重ね)

こちらこそよろしくねぇー(´ω`★)
46 中華丼◆0Qh89e

い、いいじゃんか、別、…にッ(言葉を言い終える前に唇を重ねられ最後の一文字は吐息となって漏れて)


うふふv


★うにょお!


ちょいまちー
47 中華丼◆0Qh89e

うんーっ

あれ、返ってきてないぞおお?((うぜえ←

にゅーん


あれ、返したぞー(`・ω・´


え、来てない←


え、送った←


あれぇ?じゃ、もっかいおくってー←


うにゅ?
48 中華丼◆0Qh89e

ん…(軽く唇を重ねた後にゆっくりと離すと相手の上から退き悲しそうに顔を歪めた後その口を開き)一晩考えたんだけどさ…(とその先を紡がずなんとも歯切れの悪いところで終わってしまい)


おまたー(゜∀゜ )
49 中華丼◆0Qh89e

ん(相手が離れるのを不思議そうに、それでいて名残惜しげに見つめ)…なに?(相手が考えることと言えば己との関係のみでそれに気づけば平然を装いつつ尋ね)


ほーい^^
50 中華丼◆0Qh89e


ごめん、やっぱり俺・・・(先を促す様に尋ねられると暫し静かに呼吸を繰り返し心を落ち着かせ。なるだけ冷静に言おうとしたせいでその声の温度は限りなく低く一度言葉を区切った後「こういうこと、出来ない」となるだけ言葉を選び小さく呟いて)


ちょっとシリアス路線になってしまった(´▽`*)
51 無名さん
age
52 無名さん
あげ!
53 無名さん
あげ!
54 無名さん
もう色々きつすぎてなんていやいいのかわからんわ
取り敢えずきもい
55 無名さん
あげ
56 無名さん
このスレ立てたのも上げてるのも書いた本人に見える
57 無名さん
あげ
58 無名さん
懐かしいな
59 無名さん
あげ
60 無名さん
あげ
61 無名さん
あげ
62 無名さん
あげ
63 無名さん
あげ
64 無名さん
あげ
65 無名さん
あげ
66 無名さん
あげ
67 無名さん
あげ
68 無名さん
あげ
69 無名さん
💩
70 無名さん
💩
71 無名さん
あげ
72 無名さん
あげ
73 無名さん
あげ
74 無名さん
あげ
75 無名さん
あげ
76 無名さん
あげ
77 無名さん
あげ
78 無名さん
あげ
79 無名さん
あげ
80 無名さん
あげ
81 無名さん
あげ
82 無名さん
あげ
83 無名さん
あげ
84 無名さん
あげ
85 無名さん
あげ
86 無名さん
あげ
87 無名さん
あげ
88 無名さん
あげ
89 無名さん
あげ
90 無名さん
あげ
91 無名さん
あげ
92 無名さん
あげ
93 無名さん
あげ
94 無名さん
あげ
95 無名さん
あげ
96 無名さん
あげ
97 無名さん
あげ
98 無名さん
あげ
99 無名さん
あげ
100 無名さん
あげ