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1 無名さん

泣ける話

バツイチ子持ちと付き合ってて3才のガキと良くかくれんぼっつーか、俺がいきなり隠れてガキが探すっていうのやってた。
俺はヒントにその頃吸ってたタバコを1本近くに置いて隠れるようにしてた。
ガキは俺のことルーって呼んでて、見つけると嬉しそうに「ルー見っちけたぁ!」って言ってた。
バツイチが浮気してたんで別に喧嘩もしないで別れたんだけどガキには何も言わないで消えた。
ガキはしばらく俺と同じタバコの吸殻見つけては「ルーが近くにいるよ!隠れてるよ。探して来ていいって?」言ってたらしい。浮気相手がそれを嫌がってすぐ別れたんだと。俺もすぐ彼女できてたんでそんな話聞いても悲しいだけで何もできなかったな。
2 無名さん
子供の時、よくこういう旅館に連れて行かれてワクワクしたわ
あの頃といえば親もまだ薄給で、精一杯の家族サービスとして無理してこういう旅館連れて行ってくれた
まあ会社の福利厚生のボロ施設なんだけど
うちの母ちゃんもなんだか本当に幸せそうで、普段着ない浴衣姿で妹と合わせてトランプとかやってさ
早く寝るんだけど、その時の静けさと障子越しの月明かりがなんとも言えない雰囲気
朝は早々に起きて、近くの観光地巡って、お昼はそば食べて
でも、有給は長くないから2日で家に戻っちゃう
とても楽しいけどすぐ終わる旅
両親と違って俺はそういう家庭は築けてないし、築けそうもない
俺もあんなふうに誰かを幸せにしたかった
3 無名さん
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」と、しつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」
とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言い
それから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」
日記はあの日で終わっていた。
「今日は◯◯の好きな海老を入れた。上手に出来なかったけど、喜んでくれるといいな」
4 無名さん
クソスレ立てんな
5 無名さん
文才なさすぎてびっくりした!!!!!!!!
6 無名さん
>>3の話YouTubeで見たことあるよ
母親が可哀想だった
7 無名さん
弁当系は泣けるの多いこれとか

小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった。寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。

俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと持っていったお菓子のみで腹を満たした。弁当の中身は道に捨ててしまった。家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」と本当に嬉しそうな声と顔で言った。俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。

でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。

流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。

翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。親父は去年死んだ。病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」とか何とか言った俺に対し、親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。
8 無名さん
>>7は謝れて良かったしお弁当を食べられるようになって良かった
>>3は後悔しかないし虚しい
9 無名さん
何回も読んだことあるけど>>3>>7でどうしても泣ける
10 無名さん
おにぎりを2つ買うときは違う種類を選ぶものだと思っていたけど、別にそんなルールないんだった、
そうしたければ同じおにぎりを2つたべてもいいんだった、こんなことに気がつくまでに28年もかかってしまった
11 無名さん
>>10
12 無名さん
会社が棚卸しで振り替え休日があったので
会社の若い連中、男女3:3で海にドライブに行った
私は途中で腹が減ると思ったので
人数分×3個のおはぎを、前の晩からこしらえた。
「気のきく人」と思われて好感度アップ間違い無しと確信して
寝不足ながらウキウキ気分で出発。
ひそかに思いを寄せるN男さんもお洒落な服で張り切っている。
10時ごろ、ブサイクな同僚♂(29才喪男)が
「ソフトクリームがたべたい」と言い出したので
私は「お、おはぎならありますけど・・」とやや控えめに
18個の色とりどりのおはぎ(あん・青海苔・きなこ)を紙袋からとり出した。
一瞬「しーん」となって、ブサイクな同僚♂が
「喪女さんが握ったの?うわwwおばあちゃんみたいwww」と言った。
他の女が「ちゃんと洗った手で作ったの?今の季節雑菌は危ないよ、ほら、ここやばくない?」と言った。
爆笑が起こった。18個のおはぎは誰の口にも入らなかった。
私はほぼ半泣き状態で、おはぎをしまった。
人づてに聞いた話だけど、N男さんも「ちょっとあれは食べらんないw」と
言っていたらしい。
13 無名さん
>>12
別の意味で泣ける
14 無名さん
ベトナム戦争から家に帰る前夜、青年兵士は自宅に電話した。
「明日帰るんだけど、他に行くところがない友達を連れて帰りたいんだ。
  家で一緒に住んでもいいかな?」
息子の帰還報告に狂喜した両親は、勿論!と泣きながら答えた。

「でも、一つだけ言っておきたいことがあるんだ。
  彼は地雷を踏んでね、腕と足を失ってしまったんだよ。
  でも、僕は彼を家に連れて帰りたいんだ。」
その台詞に、両親は押し黙ってしまった。

「数日ならいいけれど、障害者の世話は大変よ。
  家にいる間に、そのお友達が住める所を一緒に探しましょう。
  あなたにも私たちにも自分達の人生があるのだから、
  そのお友達 の世話に一生縛られるなんて無理よ。」
やっとのことで母親がそれだけ言うと、息子は黙って電話を切った。

翌日、警察から電話があり、青年兵士の両親は
彼がビルの屋上から飛び降りて死んだことを知らされた。

死体と対面した両親は絶句し、泣き崩れた。
15 無名さん
このコピペXでも言われてたけど自分も大概ヤバいのに不細工喪男って他人を見下してるのも本物感ある
16 無名さん
>>14
これ意味わからない
なんで死んだの?
17 無名さん
自分も>>12は他人を不細工呼びしている所に引いてしまって同情できない
18 無名さん
>>16
サリーアンのやつ引っかかりそう
19 無名さん
手足無いのは息子本人なんじゃない
親が四肢欠損の介護は無理って言ったから絶望した
20 無名さん
>>14は他人だから難色を示しただけで息子なら違った可能性もあるのにね
21 無名さん
理想自分の身の丈以上の願い宿儺をそれが今のこいつらのりそうなわけだ理想に殉ずる者を見て何故俺は苛立っている同じようなやつは千年前もいた千年前と変わったのは俺の方…?小僧そうだお前だ千年前戦う相手は他人だった他者の理由も理想も全て俺にとっては真偽の後付けの遺言だ虚勢もあったろう自己陶酔していた者もいただろうだが今回は違う同じ肉体に同居させていたんだ俺はコイツがコイツの魂が何度折っても息を吹き返す百折不撓の理想を持っていると知っている俺よりも遥か格下の弱者が理想を貫く意志の強さでのみ俺と並ぶことを知ってしまった俺はそれがどうしようもなく不愉快なのだ
22 無名さん
友達のことだって言ってたのが実際は自分のことで親からの言葉に絶望して自殺した
彼の死体は片方の手足がなかったからそれを見て両親は泣き崩れた
23 無名さん
ウミガメっぽい流れ
24 無名さん
腕と足を失ったなら一人でビルの屋上まで辿り着けないだろ
他に行くところがない友達からの信用を裏切らないためと両親の薄情さを嘆いて死んだんだよ
25 無名さん
両目を失った少年が嬉しそうに鉄の板と新聞紙を見せてくれたみたいなコピペもあったな
26 無名さん
片脚片手がない息子とまったくの赤の他人じゃ全然立場も何かも違うのにこれはこの文章考えたやつが頭悪いよ
27 無名さん
>片脚片手がない息子とまったくの赤の他人じゃ全然立場も何かも違う
これ
28 無名さん
両親は友人が他で暮らせるように考えてるあたり薄情じゃないと思う
29 無名さん
昔からあるコピペにそんなマジレスしなくても
30 無名さん
>>3>>7こういうのしんどい
31 無名さん
せっかく買ったケーキ
急に車来たのに避けたら自分のケツで潰したから泣いた
32 無名さん
小さいころ新聞に折り込まれた広告を見ると近所に出来た電気屋さんの
開店セールのチラシが入っていた。
そのチラシには「開店記念、ホットプレートで作った焼きそばを無料配布」の文字が!
焼きそばが大好きだった俺は、タダで焼きそばか食べられるのかとワクワクしながら
弟を一緒に電気屋の前まで行ったが電気屋の近くまで来た時に目にした光景は
閑散とした客誰一人としていない店頭で一生懸命呼び込みをしながら焼きそばを
小さなホットプレートで焼きつづける電気店主夫婦・・・
子供の目にもあまりにも寂しい雰囲気だったので「焼きそば下さい」と店の前まで行く
勇気が湧かず弟と一緒に遠巻きに電気屋を見て、そのままそそくさと帰宅した。
それから月日は経ち電気屋は無くなった。
33 無名さん
>>32
コピペか知らんけど泣けるというより悲しくなった
34 無名さん
焼きそばください
35 無名さん
お前らってこんな吐き溜めにいるのに作り話で感動したり悲しくなったりできるんだ
36 無名さん
切なすぎる
37 無名さん
だって人間だもの
38 無名さん
焼きそば好きだからもらうよ
39 無名さん
今日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。
俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。
「昔からここ美味しいのよね」って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ。

ラーメンが出来上がると、俺も母ちゃんも夢中で麺をすすってた。
あんまりにも母ちゃんがニコニコしながら食べてるもんだから、
俺もつられて笑っちまったよ。

しばらく経って、ラーメンを食い終わった俺はふと母ちゃんの方を見たんだ。
ラーメンの器に浮かぶチャーシューが一枚、二枚、三枚・・。そのチャーシューを捲ると麺がまだ沢山余ってた。
母ちゃんは俺の方を申し訳なさそうに見て、「ごめんね、母ちゃんもう年だから。ごめんね」と繰り返してた。
「んなもんしゃーねーべ」と言うと、俺は母ちゃんの残したラーメンをすすった。
そういやガキの頃、よく無理して大盛り頼んで、結局食べきれなくて母ちゃんに食ってもらってたっけ。
いつの間にか立場も逆転。あんなに若かった母ちゃんの顔も今じゃシワだらけで、背丈も頭一個分違う。
そのシワの数程今まで散々迷惑掛けたんだろうなって思うと、悔しさと不甲斐なさで涙が出てくる。
母ちゃん、こんな俺を今まで育ててくれてありがとう。
40 無名さん
切なすぎる
ちょろいから焼きそば貰って色々話聞いてPC周辺機器くらいは何か買って帰ってしまう
41 無名さん
あの日俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕食も食べずに部屋に篭もった
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたようだ、が、父親が部屋に飛び込んで来たので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の父親の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげて下さいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のためにはアイスを買いに行って事故にあったとわかった

通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんな
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている。
42 無名さん
>>39
いい話で好き
長生きしてね
43 無名さん
>>41
YouTubeで見たけどこれはつらいよね
もう直接謝れない
44 無名さん
>>32
焼きそばくださいとたくさんの人が押し寄せてくると張り切って開店したんだろうなと思うと切ない
>>39
いつまでも元気でいてほしいねと思った
45 無名さん
どう見ても轢いた車の運転手が悪いだろ
憎むべきは高齢ドライバーでしかない
46 無名さん
>憎むべきは高齢ドライバー
どこにも高齢ドライバーとは書いていないんだけど何の話?
47 無名さん
45 無名さん
どう見ても轢いた車の運転手が悪いだろ
憎むべきは高齢ドライバーでしかない
7/17 18:52
急に何?
48 無名さん
そもそも実話かフィクションかも分からないのに
49 無名さん
知的っぽい人いて怖い
50 無名さん
知的物件ってこうやって見えないものを勝手に見てキレ散らかしてくるんだよね
51 無名さん
天体観測かな?
52 無名さん
流石に引いたどこに書いてあるんだよ
53 無名さん
昨日の8月15日にいつもの浮浪者のおっさん(60歳)と先日メールくれた汚れ好きの土方のにいちゃん(45歳)とわし(53歳)の3人で県北にある川の土手の下で盛りあったぜ。

今日は明日が休みなんでコンビニで酒とつまみを買ってから滅多に人が来ない所なんで、
そこでしこたま酒を飲んでからやりはじめたんや。
3人でちんぽ舐めあいながら地下足袋だけになり持って来たいちぢく浣腸を3本ずつ
入れあった。

しばらくしたら、けつの穴がひくひくして来るし、糞が出口を求めて腹の中でぐるぐるしている。
浮浪者のおっさんにけつの穴をなめさせながら、兄ちゃんのけつの穴を舐めてたら、
先に兄ちゃんがわしの口に糞をドバーっと出して来た。

それと同時におっさんもわしも糞を出したんや。もう顔中、糞まみれや、
3人で出した糞を手で掬いながらお互いの体にぬりあったり、
糞まみれのちんぽを舐めあって小便で浣腸したりした。ああ〜〜たまらねえぜ。
しばらくやりまくってから又浣腸をしあうともう気が狂う程気持ちええんじゃ。
浮浪者のおっさんのけつの穴にわしのちんぽを突うずるっ込んでやると
けつの穴が糞と小便でずるずるして気持ちが良い。

にいちゃんもおっさんの口にちんぽ突っ込んで腰をつかって居る。
糞まみれのおっさんのちんぽを掻きながら、思い切り射精したんや。
それからは、もうめちゃくちゃにおっさんと兄ちゃんの糞ちんぽを舐めあい、
糞を塗りあい、二回も男汁を出した。もう一度やりたいぜ。
やはり大勢で糞まみれになると最高やで。こんな、変態親父と糞あそびしないか。
ああ〜〜早く糞まみれになろうぜ。

岡山の県北であえる奴なら最高や。わしは163*90*53,おっさんは165*75*60、や
糞まみれでやりたいやつ、至急、メールくれや。
土方姿のまま浣腸して、糞だらけでやろうや
54 無名さん
うわ
55 無名さん
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。

事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。

片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。

片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。

母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。

片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。

生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。

介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意した。


「最後の親孝行に」


片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。


片桐被告が「すまんな」と謝ると、

母は「こっちに来い」と呼び、

片桐被告が母の額にくっつけると、母は

「康晴はわしの子や。わしがやったる」

と言った。

この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。

母の首を絞めて殺し、自分も包丁で首を切って自殺を図った。

裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。

冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。

肩を震わせ、眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。

「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」

片桐被告のその言葉に目を赤くした裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。

判決を言い渡した後、裁判官は「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」と片桐被告に同情した。そして「お母さんのためにも、幸せに生きていくように努力してください」との言葉には、「ありがとうございます」と応え、涙をぬぐった。
56 無名さん
>>55
この人結局自殺したよね
57 無名さん
この世は残酷だね
58 無名さん
今血糖値スパイクでうとうとしてたら数年間に旅立った猫が枕元に寄り添ってた夢見た
煩いくらい喉鳴らしてて妙に現実味あった
59 無名さん
キショ
60 無名さん
もちづきさん…
61 無名さん
>>55は実話なの?
62 無名さん
有名な話だね
63 無名さん
その話の8年後に自〇しちゃったんだよね