16 無名さん
本体恋愛・本体交流 その他募集
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1 創作男
夏の衣を探して
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。 これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
(太宰 治『葉』 より)
この短い段落が残酷なのは、「希望」が偉業としてではなく、布地の手触りみたいな些細さで人を延命させるところ。僕にとっての夏の衣は、救いの宣言ではなくて、ましてや劇的な恋の火災でもない。もっと地味で、もっと確かで、肌に触れて初めて温度がわかる種類のもの。たとえば、季節が変わる前に、黙って箪笥の奥から出してくれる人。汗ばむ夕方に、麻の繊維がひやりと立つように、こちらの神経をほどいてくれる人。「生きろ」と叱咤するのではなく、「今日はどうしたい?」と選択肢を増やしてくれる人。正義の言葉より、生活のほうが僕には効く。人は理念では眠れない、という当たり前の事実を、あなたは笑わずに受け取ってくれるでしょうか。
僕が求めているのは、欠落を埋める万能薬ではなく、欠落と共存できる裁縫の上手さ。こちらは不器用で、感情の説明が遅い。言葉が先にかたまって、後から意味が追いつく。最初から互いの深層を暴き合う必要はないと思っています。むしろ、暴かないことに品がある。冬の朝の挨拶、ひと駅分の「今日は寒いね」、湯気の立つ飲み物、返信が遅れても責めない余白——そういう小さな縫い目を増やしていくうちに、布が衣になる。
ただ、毎年やって来る暑さの前に、僕は一人で立ち尽くしたくない。信念で夏を越せるほど強くないから。だからこそ、たった一反の麻布が、あるいは一人の人が、夏を越す理由になり得る。望むのは、静かな相互扶助です。依存と呼ぶには乱暴で、友情と呼ぶには近い、名前のつかない距離。沈黙している時は、無理に言葉を引き出さず、消えずに居る。同じようにあるのが苦ではないといいです。会う頻度や連絡の速度は、互いの呼吸を尊重して決めたい。誠実さは密度ではなく、相手の生活を壊さない設計だと僕は思うからです(情熱は時に、火事と同義になるので)。
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1 創作男
夏の衣を探して
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。 これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
(太宰 治『葉』 より)
この短い段落が残酷なのは、「希望」が偉業としてではなく、布地の手触りみたいな些細さで人を延命させるところ。僕にとっての夏の衣は、救いの宣言ではなくて、ましてや劇的な恋の火災でもない。もっと地味で、もっと確かで、肌に触れて初めて温度がわかる種類のもの。たとえば、季節が変わる前に、黙って箪笥の奥から出してくれる人。汗ばむ夕方に、麻の繊維がひやりと立つように、こちらの神経をほどいてくれる人。「生きろ」と叱咤するのではなく、「今日はどうしたい?」と選択肢を増やしてくれる人。正義の言葉より、生活のほうが僕には効く。人は理念では眠れない、という当たり前の事実を、あなたは笑わずに受け取ってくれるでしょうか。
僕が求めているのは、欠落を埋める万能薬ではなく、欠落と共存できる裁縫の上手さ。こちらは不器用で、感情の説明が遅い。言葉が先にかたまって、後から意味が追いつく。最初から互いの深層を暴き合う必要はないと思っています。むしろ、暴かないことに品がある。冬の朝の挨拶、ひと駅分の「今日は寒いね」、湯気の立つ飲み物、返信が遅れても責めない余白——そういう小さな縫い目を増やしていくうちに、布が衣になる。
ただ、毎年やって来る暑さの前に、僕は一人で立ち尽くしたくない。信念で夏を越せるほど強くないから。だからこそ、たった一反の麻布が、あるいは一人の人が、夏を越す理由になり得る。望むのは、静かな相互扶助です。依存と呼ぶには乱暴で、友情と呼ぶには近い、名前のつかない距離。沈黙している時は、無理に言葉を引き出さず、消えずに居る。同じようにあるのが苦ではないといいです。会う頻度や連絡の速度は、互いの呼吸を尊重して決めたい。誠実さは密度ではなく、相手の生活を壊さない設計だと僕は思うからです(情熱は時に、火事と同義になるので)。