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1 無名さん

地下24階

副管理人野瀬
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97 無名さん
1866年に娘のアニーを、そして1881年に夫を亡くし、深い悲しみに暮れ慰みを求めていたサラ・ウィンチェスターは、友人のアドバイスにより霊媒師の助言を求めた。通説によれば、「ボストンの霊媒師」の通り名で知られていたこの霊媒師が、ウィンチェスター家が代々製造してきた銃が多くの人々の命を奪ってきたため、一家にかけられた呪いが存在するとサラに告げたのだという。さらに霊媒師は、銃のせいで幾千という人々が死に、彼らの魂がいま復讐の機会を求めているのだと告げたのである。異論はあるものの多くの人々から信じられているところによると、ボストン霊媒師はサラ・ウィンチェスターに、コネチカット州ニューヘイブンにある自宅を出て西へ旅立つことを告げる。加えて、「アメリカ西部へ行き着いたその場所へ、あなた自身とその恐ろしい銃で亡くなった人たちの霊のために家を建てなさい。家の建設を止めてはなりません。あなたがもし建て続ければ、あなたは生き長らえるでしょう。もし止めれば、あなたは死んでしまうでしょう」と伝えた[2]。この物語が本当かどうかは定かではないが、サラ・ウィンチェスターは実際に西へと引っ越し、カリフォルニア州へ定住して彼女の屋敷の建設工事を開始した。
98 無名さん
夫の死により、サラ・ウィンチェスターは2千万ドル以上の財産を相続した。また、彼女は銃器製造会社のウィンチェスター・リピーティングアームズの50パーセント近い所有権を受け取り、概算でも1日につき千ドルの収入があったと考えられている。その上、これらの資産は1913年まで課税されなかった。この千ドルの収入は、2006年現在の金額にしておよそ2万1千ドルに相当する。こうして蓄えられた莫大な資産によって、彼女は屋敷を増築しつづけるための資金投資が可能となった[3]。
99 無名さん
1906年のサンフランシスコ地震が起こる前、ハウスは7階建てで建設されていたが、現在屋敷で一番高いのは4階である。建物は主にセコイア材の骨組みで設計されており、建物の基礎がやや浮動的な造りであったことが、この1906年の地震と1989年に起こったロマ・プリータ地震のいずれに見舞われても、完全に倒壊しなかった理由なのではないかと信じられている。ハウスには40の寝室と2つの舞踏室を含む、およそ160の個室がある。また、47個の暖炉と1万枚の窓ガラス[2]、17の煙突(2つの建設されていた形跡もある)、2つの地下室と3つのエレベーターも存在する。
100 無名さん
一時期、ウィンチェスターの資産は65万平方メートル(162エーカー)にも上ったが、現在地所は屋敷と近接する離れ屋が入る最小限の面積である、2万4千平方メートル(4.5エーカー)程となっている。金と銀のシャンデリアや、寄木細工が散りばめられた床・装飾も取り入れられている。その他、屋敷内にはどこへも通じていないドアや階段があり[4]、極めて多くの配色や素材が用いられている。エレベーターが使用できるようになる前は、深刻な関節痛を患っていたサラの便宜を図って、屋敷内のあらゆる部分へと行けるようにする特別な「簡易蹴上げ板」が取り付けられていた。ハウスの塗装には、およそ7万6千リットル(2万ガロン)の塗料が必要とされた。ハウスは途方もない大きさだったため、全ての区画が塗り終わる頃には、次の塗り替えを始めなければならないほどであったという。